Dice-8
ネルフ第2実験発令所。

前日のエヴァ初号機起動実験が行われた場所は現在照明が落とされ、葛城ミサト、赤木リツコ、伊吹マヤ、日向マコト、青葉シゲルの5名を中心に複数の職員が各持ち場で端末と向き合っている。

そして、強化ガラスの向こうに佇む初号機は、昨日と違い全身に様々なパーツが取り付けられ、そこから伸びる配線が実験場の至るところに張り巡らされている。

腰溜めに構えている巨大な模擬銃の銃口と、頭部に取り付けられたヘッドセットのアイカメラが忙しなく動き、傍から見ると極めて不気味な姿だ。




「いい? シンジ君。
 これからあなたにはシミュレーションを使ったエヴァの操縦訓練を受けてもらうわ。
 現在あなたが見ている視界の中に、これから丸い目標を出現させるから、照準が目標を補足してセンターに入ったらインダクションレバーのトリガーを引いて。
 いいわね? 目標をセンターに入れてスイッチよ。
 
 それでは訓練を開始します。
 インダクションモード、トレーニングタイプF02スタート」


「了解。
 インダクション・トレーニングシステムすべて正常。
 全チェックリストオールクリア。
 シミュレーションスタート」




マヤのオペレーションと共に発令室内の端末が一斉に処理を開始する。

一方、エントリープラグ内から第3新東京市の町並みを再現した仮想空間を見つめていたシンジは、極度の緊張からか、インダクションレバーを必要以上に強い力で握り締めてしまっている。

テレビゲームすらまともにやった経験がなく、二度目とは言えまだ慣れない環境の中、SFの世界でしか想像できないような光景が目の前に広がっていることで混乱していたためだ。

そして、そのあせりは実験の中で目に見えるものとなる。




「出たわ。
 シンジ君、目標をセンターに入れてスイッチ」




「え!? あッ! えっとッ!」




突如、前方に出現した赤い球体を前に、慌てて引き金を絞ったせいで見当違いな方角に弾丸が連射され、仮想空間内の建造物が次々と吹き飛んでいく。

失敗に気づいたシンジがレバーから手を離したときにはプラグ内に表示された残弾数の表示が”00”を示していた。

もちろん、実際にエヴァの所持している銃が発射されたわけではなく、実戦に近い状態を再現するために弾倉交換もシミュレートされているに過ぎない。




「残弾数ゼロ。
 次弾装てんまで約5.6秒」


「シンジ君、落ち着きなさい。
 モニタに表示されている照準が分かるわね?
 それが目標の中心に重なったときに引き金を引けばいいの」


「す、すみません……」




モニタの向こうで申し訳なさそうにうな垂れるシンジに、マヤ、マコト、シゲルの三人がクスリと笑った。

その三人にリツコが” 集中しろ ”とにらみを利かせ、マヤに次の操作を促す。

すでに次弾の装てんが完了した状態で待機したシンジはリツコの指示を反復しながらレバーを握り締める。

シンジの意思を読み取るように現れたオレンジ色の照準は瞬時に仮想空間内の球体を捉え、下部に表示された” 照準完了 ”の文字と共に表示が赤色へと変化した。

ここがタイミングだと確信したシンジは一気に引き金を引き絞る。

再び高速連射された弾丸はほぼ全弾が目標に命中し、瞬時に粉砕された破片が仮想空間内に散らばって消えていった。




「完璧よ。
 間髪いれずに出していくから残さず打ち落として」


「は、はい!」




リツコの激励を機に、仮想空間内に複数の目標が一気に出現する。

最初のやり方でコツを掴んだと感じたシンジは、同じ要領で次々とその目標を打ち落としていった。

さらに休む暇を与えることなく、空中、ビル郡の隙間、遠距離と多様なパターンで訓練は続いていき、30分ほど経ったときにようやく目標の出現が止まった。



「とりあえずこれくらいでいいでしょう。
 マヤ、インダクションモード、タイプF01に移行して。
 問題はあるかしら、葛城一尉?」


「構わないわ、やって」


「了解。
 インダクション・トレーニングタイプF01へ移行。
 全チェックリストオールクリア
 仮想空間内の環境変更完了まで残り5,4,3,2,1……、変更完了。」




突然視界が砂嵐のように遮られたかと思うと、今度は遮蔽物が一切ないコンクリートのような灰色の地面と、雲ひとつない青空だけの空間へと変化した。

2色のコントラストで構成され果てしなく続く空間の先にはっきりと地平線が見て取れ、この無機質な空間が永遠に続いているのだと容易に連想させる。




「シンジ君。
 今度はその場所でエヴァの操縦方法を徹底的に覚えてもらうわ。
 ただ、これはパイロットの意思と慣れに任せるしか手段がないの。
 だからこの訓練に関して私達はあまり助言ができません。
 申し訳ないけど、昨日の起動実験で言ったようにどんな動きをしたいのかをしっかりイメージして、とにかく感覚を身に着けて」


「わ、わかりました……」




リツコの言葉に、眼前に広がる風景をしばらく眺めていたシンジだが、意を決したように目を閉じて意識を集中させる。

実際に自分の足を上げるわけではない、普段まったく意識せずに行っている身体の動きを懸命に思い描き。



――――――――――そして、最初の一歩を踏み出した。




「うぐぅッ……!!?」




踏み出した一歩は上手く地面を踏むことが出来ず、エヴァはそのまま前のめりに勢いよく倒れた。

その光景を発令所からモニタリングし、、シンジの動きを見守っていた職員達の顔が険しくゆがむ。

そして、何より動揺していたのは他でもない、シンジ自身だった。



――――――なぜ、転んだときの衝撃がこんなにリアルに感じるんだ。



実際のエヴァ初号機は狭い実験場内で様々な機器を取り付けられたまま棒立ちしているだけだ。

さらに言えば、現在シンジが目にしているのはスーパーコンピュータ”MAGI”が作り出した仮想空間のはずなのに、まるで自分が転倒したのかと錯覚するほどの痛みと衝撃だった。

転んだ拍子に飛び出した呻き声以降、全く反応がないシンジを不審に思ったリツコがスピーカー越しに声を張り上げる。




「シンジ君? ……シンジ君!!
 大丈夫!? しっかりしなさい!!」


「は、はい!!
 い、いま、あの……すごく身体が痛かったんですけど……。
 何でですか……? まるで自分が………」



「落ち着きなさい。
 最初から萎縮されると困るから話さなかったけど。
 エヴァの操縦はパイロットであるあなたの神経系と直結しているの。
 だからあなたの意思で機体を動かすことが可能なのだけれど、その代わりにエヴァの受けたダメージはそのままパイロットに跳ね返ってくるわ。
 これはパイロットとエヴァのシンクロ率が高くなるほど深刻になるの。
 でも、そのダメージはあなたが実際に受けたものじゃない。
 あくまで感覚的なものであって、あなたの身体が損傷するわけではないわ」


「そッ、そんな!!
 い、嫌だ!! 降ろしてください!!
 ここから出して!!」





リツコの説明に完全に我をなくしたシンジは、座っていたシートから立ち上がりプラグ内の天井に設置されたバルブにしがみ付き脱出を図ろうともがき始めた。

突如暴れだしたシンジに、発令所の中は一気に騒然となり、何とか落ち着けようとリツコがマイク越しに声を張り上げる。




「シンジ君!! 落ち着きなさい!!
 あなたの頭についているインタフェース・ヘッドセットはシンクロ状態の時に外れると危険なの!!
 お願いだから落ち着いて!!」



「嫌だ!! ここから出して!!」


「…………ッ!
 マヤ!! パイロットの神経接続をカット!!
 LCLにロラゼパムを注入!」



「りょ、りょうか…「いい加減にしなさい!!!」




マヤがコンソールを叩く前にミサトの怒号が発令所内のみならずスピーカーを通じてプラグ内にいるシンジの耳をも貫いた。

ミサトはそのままリツコのそばまで近寄ると、近くの端末を操作してシンジのいるプラグ内に自身の映像をホログラムスクリーンで映し出した。

突如、プラグ内に出現したスクリーンに映ったミサトは猛烈な怒気を帯びた険しい表情でシンジを睨み付け、痛みへの恐怖でパニックを起していたシンジを一瞬で凍りつかせる。




「今さら何怖気づいてんのよ!?
 あんた一体何のためにここに残ったの!?
 これはあなたの上司としての命令よ、早く座りなさい!!」


「………いッ………!」


「拒否なんて許さないわよ。
 そんなマネしようものなら飯抜きで懲罰房へぶち込むわ。
 
わかったらさっさと訓練を続けなさい!!!





再びの怒号が発令所に響き渡った。

そのあまりの剣幕にマヤ、マコト、シゲル、その他職員のみならず、リツコでさえもミサトを見つめ呆然とするばかりである。

しばらくプラグ内で思いつめた表情のまま固まっていたシンジだが、自分がいくら訴えたところで何も聞き入れてもらえないことを悟ると、諦めたようにシートへと座り直した。

その様子は発令所からモニタリングされていたが、一向に訓練を再開しないことを不審に思ったミサトがリツコへと声をかけた。




「座ったわよ、続けたら?」


「……まったく、あなたって人は………」




ミサトに向けて大きな溜息を吐き出すと、リツコはディスプレイの向こうで自失しているシンジへの指示を再開する。

最初と違い、リツコの呼びかけにほとんど応じなくなったシンジだが、四苦八苦の末にようやく立ち上がり、ぎこちないながらも操縦を続けていく。

歩き、しゃがみ、走り、飛び、幾度も失敗しながらも発令所の指示に従い従順に慎重にこなしていく。

ミサトの作り出した重苦しい雰囲気の中、もはや言葉を発するものは一人もいなかった。










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「あなた、完全に嫌われたわね」


「あんまりピーピー騒ぐもんだから、つい………」




エヴァ初号機の操縦訓練が終了し、発令所はシンジの訓練から得られたデータの整理、分析作業に取り掛かっていた。

エヴァの稼動データはエヴァ本体、パイロット共に極めて少ない中、零号機パイロットである綾波レイの負傷、セカンドチルドレンの本部不在などにより圧倒的に不足していた。

故にシンジから得られるデータは貴重かつ重要であり、これから先、エヴァに改良を加える場合に絶対的に必要なものだった。




「ところで、その本人はどこにいったの?」


「シャワーを浴びたら一人でどこかへ行っちゃったわよ。
 諜報部には連絡しておいたから心配はいらないだろうけど。
 それに、今日は彼に話しておきたい事なんて特にないし」


「………シャボン玉並みに脆い心よね〜」


「ただでさえ難しい年頃の上にあの性格だもの。
 ミサト、彼は軍人じゃないのよ。
 締め上げれば強くなるわけじゃないんだから。
 それに、精神状態の良し悪しはエヴァのシンクロにも影響しかねないの、気をつけて頂戴。
 ホントに、知り合って昨日今日でこんな状態じゃ、先が思いやられるわ」


「分かったわよ、さすがに反省してる」




リツコにそう告げると、ミサトは踵を返し、モニターと向き合っているマコトの方へと向かっていった。

自分に近づいてくるミサトを見た瞬間、マコトの身体が一瞬跳ねたが、先程のような怒気を孕んだ雰囲気が見受けられないことを感じ取ると、自然と会話を再開した。

一方、リツコのそばで作業をしているマヤは不満たらたらな表情でひたすらにコンソールのキーボードを叩き続けている。

彼女にとっては自分達のしている事へ子供を巻き込む事にかなりの罪悪感とやるせなさを感じており、それゆえに訓練中にミサトが言い放った言葉が不服だった。


本人もきっと訓練などやりたくはないだろう。

その上、苦痛への恐怖が芽生えれば、自分だって平常心でいられないだろうと容易に想像できる。

あのままシンクロを止め、シンジをいったんエヴァから降ろした上で、しっかりと説得するべきだったのだ。


リツコがミサトをたしなめたおかげで多少気分は晴れたものの、マヤにはミサトに対する不満がしっかりと表情に出ている。

そんなマヤの様子を横目で見ているリツコは、今日何度目かの溜息と共に、これから先に起こる出来事が無事に済む事を祈った。

そして、そんな周りの状況にいまいち溶け込めず、何とも言えない居心地の悪さを感じるシゲルだった。










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ここはどこだろう。

もう何度か行き来をしたのだから、いくら入り組んでると行ってもさすがに自力で自室まで戻れると思っていた。

ところがどっこい、エレベーターを降りた先は全く身に覚えのない通路で職員の姿がまったくない。

通路を照らす蛍光灯に沿って歩き、辿り着いたのは自販機といくつかのベンチが備え付けられている休憩室だった。

とりあえず座ってみたものの、どこへ行けばいいのか分からずに頭を抱えた。

こんな事なら意地を張らずに田中を待てばよかったとシンジは今さらながら後悔した。




「僕って、いつもこうだよね」




自虐的な言葉を吐いて虚空を見つめる。

先程までいた発令所に戻ろうかとも思ったが、すでにあの場所が何階にあったのか忘れてしまった、

仮に戻れたとしても、ミサトにまた怒られるのではと躊躇してしまう。

だれか通りかからないかと背後の通路を見てみたものの、その気配はない。

見事な八方塞がりに、シンジは両手で顔を覆って完全に塞ぎこんだ。




――――――――――ペトリ


「ひぐッ………!?」




突然首筋を襲った冷たい感触に振り返ると、UCCカフェ・ミルクコーヒーを両手に持ち、したり顔でシンジを見下ろす田中がいた。




「いやぁ、入って3日目にして脱走を図るとは……なかなかの悪だなぁ、シンジ君」


「た、田中さん!
 ち、違います! 一人で戻れると思って、その……」


「まーまーまーまー、まずはコレ飲んで落ち着こうよ」




田中は2本あるコーヒーのうち1本をシンジに手渡すと、隣に腰掛け、プルタブを開けて飲み始めた。




「いやー、伊吹二尉から連絡が入って、”シンジ君がどっかいったー”って言われてさぁ。
 まぁ、君の位置はこっちで把握してるから問題はないんだけどね」


「……すみません、迷惑かけちゃって」


「いいんだよ、そんなこと。
 それより早く飲みなよ。 それとも、コーヒーは嫌いかい?


「い、いえ! …頂きます」




慌ててコーヒーのプルタブを開け、勢いよく甘ったるい液体を流し込む。

たった120円の飲み物のはずなのに、よく冷えた喉越しと、訓練で疲労した身体に心地よい癒しをもたらし、ホッとした溜息と共に身体から力が抜けていく。

隣の田中を見ると、静かな表情で目をつぶり、片手をベンチの背もたれに預けてチビチビと飲み続けている。




「あの、田中さん……」


「ん?」


「何も聞かないんですね」


「葛城一尉から何か言われたんだろ?」


「あ…、誰か話したんですか?」


「いや……。
 あの中で事を起こしそうなのはあの人くらいしか思い当たらないからね。
 諜報員って言うのはね、基本、人間観察が仕事だから。
 色々と分かる事が多いんだよ、見ていると」


「そうなんですか。
 ……僕が悪いんです。
 訓練中に騒いだりしたから。
 怒られて当然ですよね………」




手元のコーヒー缶を見て俯いているシンジを一瞥すると、彼の呟きに特に応えることなく田中は立ち上がり、ゴミ箱へ空き缶を放り込んだ。




「もう昼時だけど、一緒に昼飯でも食べに行くかい?
 と言っても、今日は俺と二人きりじゃないけどな」




田中の問いに、シンジはしばし考えた末に答えを出した。




「……いえ、部屋に帰ります。
 たしか、居住区に売店があったと思うんですけど……。
 食べたくなったらそこで買います」


「ああ、無人のやつね。
 使い方は行けばわかると思うけど」


「はい。
 あと、家に置いてきた荷物で欲しいものがあるんですけど。
 持ってきてもらうことって出来ますか?」


「ああ、もちろん。
 メモか何かで貰えると助かるんだけど」


「あ、これです、お願いします」




シンジはYシャツのポケットからメモ用紙を取り出すと田中へ手渡した。

メモ用紙を受け取った田中は書いてある品目にサッと目を通し、スーツの内ポケットへとしまい込む。




「よし。
 君の家の人に協力してもらって出来るだけ揃えるように手配しておくよ。
 多分、到着には時間がかかるだろうから気長に待ってて」


「はい、よろしくお願いします」


「よし、じゃあ戻ろうか」




シンジは手元のコーヒーをすべて飲み干し、ゴミ箱へと捨てると田中の後についてエレベーターへと乗り込んだ。

カチリカチリと相変わらずのアナログ音の響くエレベーター内で、しばし無言の時間が流れたが、やがて田中が正面を見据えたまま静かに語りだした。




「シンジ君、俺が君に最初に会った時に言ったこと、覚えてるかい?」


「最初に言ったこと……?」


「”悔いのないように決断してほしい”、俺はそう言った。
 何を見せられても、何をされてもね。
 そして君はここに残り、人類のために戦うことを決断してくれた。
 その事に関して、この組織の一員として俺は君に感謝している。
 だけど、忘れないで欲しい。
 ここにいる人間全員、君に強制はしない。
 君の決断ひとつで、いつでも放棄することが出来る」




”人類のために”

はたして自分はそんな大それたことのために、ここに残る決意をしたのだろうか。

組織の目的、エヴァの目的、それらを聞かされたのは後になってからの事であって、最初はただ怪我をした少女に同情しただけなのかもしれない。

小さな事から大きな事まで、辛いと思うことはことごとく逃げた来た自分への嫌気と、父への反抗心で口走っただけなのかもしれない。

田中の真剣な言葉は、シンジに改めて事の重要さを自覚させる。

やがて、それまでずっと正面を見据えたままだった田中は、最初に出会った頃と同じ、穏やかで澄んだ笑顔でゆっくりと横にいるシンジに向き直った。





「そして、俺の役目は君がエヴァのパイロットである限り、君の命を守ること。
 君が人類のために命を懸けてくれるなら、俺は君を守るために自分の命を懸けよう。
 これは、俺が君に誓う約束だ」




田中の言葉に、シンジは何も応えることが出来なかった。

そのあまりに真っ直ぐな言葉に、訓練中に晒した自らの醜態が嫌が応にも脳裏に蘇り、自己嫌悪に陥る。

たかが転んだ程度の痛みに恐れおののいた自分に腹が立つ。

こんな自分に守ってもらう価値などあるのだろうか。



やがてエレベーターは目的の階に達し、扉が開く。

俯き、握りこぶしを作るシンジを気遣ってか、田中はそれ以上なにも言葉を発することはなく、シンジを先導するように、ただ前を歩いていくだけだった。










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セントラルドグマ第一発令所でメインオペレーター三人組はコーヒー片手に休憩を取っていた。

上級職員である彼らにはそれぞれ専用の執務室が設けられているが、人の上に立つ立場になると自然と周囲とのコミュニケーションが密接になり、さらに有事の際には今いるこの三人が発令所の要を担うため、大抵の仕事はここに持ち込んでこなすことが多くなっていた。

先程まで猛烈な勢いでコンソールの端末を叩き、周りを圧倒していたマヤだが、現在は男二人に向き合って不機嫌丸出しの表情で愚痴っている。




「やっぱり、ああいう言い方はダメだよ。
 彼だって好きで乗ってるわけじゃないし、怖くて当然でしょ?
 それを怒鳴りつけたりして……、葛城一尉ってデリカシーにかけると思う」


「仕方ないさ。
 レイちゃんがあんな状態で、本部には実質的にチルドレンが1人もいない状態なんだ。
 シンジ君には早くエヴァの操縦に慣れてもらわなきゃいけないし。
 もし、今使徒に攻められたら、なんて思うとゾッとするよ、俺は」

「私はやり方がおかしいって言ってるの。
 あのとき先輩は安全を配慮して神経接続をカットしようとしたのに、それを邪魔するような事をするなんて……。
 もし、シンジ君がもっと暴れて取り返しのつかない事になったらどうするつもりだったのかしら」


「いや、それは………」

「はいはいはいはい、そこまでそこまで。
 休憩終わり、仕事はじめようぜ」





白熱し始めたマヤとマコトの議論をシゲルが止めに入る。

普段は仲の良い三人だが、仕事の話になると感情論で話すマヤと、合理的な話をするマコトの間ではよく対立が起きていた。

さらに、現在はミサトが本部にいる事もあり、リツコを尊敬し、付き従うマヤと、ミサトに好意を寄せるマコトの議論はさらに白熱するものとなっていた。

そうなると必然的に二人の間を取り持つ役目になるのはシゲルであり、シンジによるエヴァ初号機の操縦訓練以降、やたらと衝突を繰り返す二人を何度も制止していた。




「全く、いい加減にしてくれよ。
 結局、シンジ君には何もなかったし、さっきちゃんと自室に戻ったって連絡が入ったんだからそれでいいじゃないか。
 いずれにしたって、俺らにはパイロットの育成に関してとやかく言う権限はないんだから、赤木博士と葛城一尉に任せるしかないだろ?」




各々、それぞれの考え方や受け止め方はあれど、最終的にはシゲルの言葉で決着がついた。

あくまでネルフの最優先事項は、いつ訪れるとも知れない脅威から人類を守ることであり、自分達の出来ることはそのために最前線に立つ人々の後方支援に徹するほかない。

チルドレンを哀れむ気持ちがあるのなら、彼らの生存率を0.1%でも上げる努力をするのが彼らオペレーターの役目なのだ。

そうして二人の摩擦を止めたシゲルだったが、ふと、自分の元に入ってきたある情報を思い出し、表情に影が差す。

それを不審がったマコトがシゲルに声をかける。




「どうしたんだ? 急に黙って」


「あ、いや……、使徒迎撃施設に関する追加予算の話、聞いたか?」


「ああ、予算の詳細がよくわからない割りにやたらと額が大きかったな」


「それだけじゃない。
 芦ノ湖沿いと丸岳山中に大型兵装ビル15棟の追加建設が決定したらしい。
 それに……、俺の気のせいかもしれないが、最近第3新東京市付近を巡回する国連軍の哨戒機や車両がやたら多いような気がしないか?」




ややトーンを落として話すシゲルに、マヤとマコトが互いに目を合わせる。

常に第3新東京市周辺の状況を監視し続けている彼らにとっても、シゲルの話す内容は思い当たる節がありすぎるものだった

短期間での軍備強化、まるでそのタイミングに合わせるように配属されたサードチルドレンの存在。

このネルフという組織が使徒殲滅の要と分かっているはずなのに、三人の抱える不安はひとつしかなかった。




「本当に来るのか、使徒……。
 俺はてっきり………」




”もう来ないと思ってた”

皆まで言うことなく、独り言のように呟いたシゲルだが、まるで自分の放った言葉を払拭するかのようにコンソールへ向き直り仕事に取り掛かる。

その背中をしばらく見つめていたマヤとマコトだったが、やがて二人も無言のまま、それぞれの仕事を再開した。










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田中ヨシノブと須川トモミの関係はあくまで”上司と部下”である。

課長として保安諜報部二課の人員を統率し、ネルフの要人、関係者、第3新東京市市民の安全確保に全力を尽くすのが田中の仕事だ。

須川トモミは諜報部、諜報部二課内外のパイプとして様々な情報の通達やオフィスで働く職員達の指示のほか、現場で動く戦闘員同様、ネルフ関係者の警護を行い、田中の補佐役としてあらゆる雑務をこなしている。

田中と須川は常に殺伐とする諜報部二課において、すでに戦友と呼べる関係であり、上司と部下を越えた硬い絆で結ばれている。


―――――はずだ。




「……あの、いかがでしょうか? 須川三尉?」


「うん………まぁ、いいんじゃないですかね、短時間でやった割には。
 はぁ……、前から言ってることですけど、こんなに早くできるならもっと余裕持って仕事してくれませんか?
 課長がコレ書いてくれないと、現場で動いてる職員の経費、請求できないんですよ?
 2日前には内訳ぜ〜んぶ上げておいたはずですけど?

 あ、このチーズケーキおいしい♪
 ヨウコさん、作り方変えた?」


「あ、分かった?
 知り合いから良い材料ゆずって貰ったの♪
 自分で使おうかとも思ったけど、どうせならここで出しちゃおうかと思ってね。
 材料費浮くし♪」




昼時でそれなりに混雑しているネルフ職員食堂のテーブルで向かい合う田中と須川、そのテーブルの横でニコニコと二人の会話に交わる三鷹ヨウコ。

ほとんどの職員がブロンドの制服に身を包む中、黒のスーツを身にまとった二人は周囲から明らかに浮いている、さらに階級が下の職員に頭をうな垂れている田中の姿はそれに拍車をかけている。

小冊子二冊分ほどにもなる書類の束をトントンと整える須川の姿は、ダメな部下の仕事を叱りつける上司の姿にしか見えない。


”逆じゃね? これ立場逆じゃね?”


そんな自問自答を田中は心の中で何度繰り返しただろうか。

しかし、明らかな落ち度は自分にあり、須川の言うことが正論以外の何ものでもない以上、田中が反論をする余地など微塵もなかった。

そんな田中を尻目にスイーツ座談会に華を咲かせる女二人。

女性の平均的な昼食の量とは如何ほどのものなのかは知らないが、すでに須川が平らげた食事の量はそれとは比較にならないと確信が持てる。

さらには、これぞ人生の至高とでも言いたげに選んだ甘味物の数々を嬉々として平らげていくその姿。

普段ならば”よく太らないね”などと、冗談のひとつでも言ってやる所だが、元々虫の居所が悪い今の須川にそれを言った途端、何かが眼球めがけて飛んでくるような気がして、喉からでかかった言葉は無理やり腹に押し込めた。

もっとも、大食いに関しては田中自身も中々のものなので、他人のことをとやかくいう事は出来ない。




「まぁ、田中ちゃんも、あんまりトモミちゃんに気苦労かけないように仕事しなさいよ。
 子供好きなのは悪くないけどねぇ」


「全く……、前からロリコンだとは思ってましたけど、まさかそっちの気まであるなんて………」


「違います、断じてそのような趣味はありません」




そこへ調理場から声の掛かったヨウコは二人に軽く別れの挨拶をすると、足早に食堂のカウンターへと消えていった。

ヨウコがいなくなっても「田中ロリコン説」について、しばらく続いた田中と須川の押し問答だが、やがて深い溜息と共に須川の方が折れる形で終了した。




「はぁ……、課長のせいでうちの部署は諜報部でも妙に浮いた存在になってるし……。
 ただでさえ”黒服、黒服”と陰口叩かれてるのに……。
 おまけにその課長はここのところ仕事ほっぽり出して子供の世話ばっかりしてるわ……。
 私の苦労、分かってます?」


「うんうん、いつも感謝してるよ。
 二課…、特に本部勤務の職員をまとめていられるのは君のおかげだよ。
 お詫びに、今日含めて5日間は好きなもの好きなだけ食べてください」


「……ここは「いつでも奢るぞ」って意気込み見せたらどうです?
 まぁ、言われなくても頂きますけど〜」




ジト目で田中を見据えた須川だが、チーズケーキの後はイチゴショートと焼きプリンが控えているので黙々とフォークを進めていく。

ようやく黙ってくれた須川に一安心した田中は、ふと、食堂内を見回した。

先程よりも食事をしにきたネルフ職員の数が増え、中には諜報部のオフィスで働いている職員もちらほらと見かけることが出来る。

耳に入る音は雑談に花を咲かせる職員達の声と、天井部に取り付けられた液晶ディスプレイから流れる国営放送のニュース番組のアナウンス。

それに、時々カウンターから聞こえるヨウコたち食堂勤務の従業員たちの威勢の良い声。


その空間はあまりにも平凡かつ平和な空気に満ちていて、人類を守ると言う大儀を背負った組織の実態などどこにも見当たらないように見える。

このまま使徒など現れないで、ネルフなんて組織は解体されて、何事もなく世界は復興していく。

そして、選ばれた子供達も、そんな平和な世界で生きていければそれがいい。

そんなことを考えながら、田中はすっかり冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。
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