Dice-4 |
開けられた扉の向こうに見えた光景に度肝を抜かれない人間は果たしているのだろうか。 紫のカラーリングが施された装甲に覆われた巨大なロボットのような物体。 首元まで赤い血のような液体に浸され、頭部と思われる部分と対峙するように掛けられている橋に2人の女性が佇んでいる。 片方は金髪に白衣を身にまとった女性、赤木リツコ。 もう片方はブロンドの制服に身を包み、ノートPCを両腕で抱えるように持っている女性、伊吹マヤ。 表情を変えずにシンジを見つめるリツコに対し、マヤはどこか落ち着き無く視線を動かしている。 田中に促され、緊張した面持ちで2人の元まで歩み寄ったシンジに、リツコは右手を差し出しながら自らを名乗った。 「はじめまして、碇シンジ君。 私はネルフ技術開発部技術局第一課の赤木リツコよ。 よろしく」 「わ、私も同じ技術局第一課の伊吹マヤです!」 リツコに続くように名乗ったマヤは両腕が塞がっているにも関わらず右手を差し出そうとしたため、パソコンを取り落としそうなり、慌てて体のバランスを取り直した。 それをリツコに” 落ち着け ”と視線でいなされ、恥ずかしそうに視線を足元に落とすのだった。 当のシンジは目の前にそびえるロボットのような物体に意識を奪われていたためか、リツコから差し出された手に答えることなく巨大な顔と思われる部分を凝視し続けていた。 「シンジ君、聞いてる?」 「あ、えっと・・・はい・・・赤木さん・・・」 「リツコでいいわ。 それと、この子の名前は聞いてた?」 「はい・・・伊吹さんですよね?」 「う、うん、私もマヤでいいよ。 よろしくね、シンジ君」 赤面したまま相変わらず下を向くマヤと、動揺しっぱなしのシンジを見て、完全に出鼻を挫かれたリツコは白衣のポケットに両手を突っ込んだまま大きな溜息を吐いた。 リツコはふと、自分たちから離れた位置にいる田中の姿を見た。 わざとこちらから視線をはずしているのか、目の前のエヴァ初号機を眺めている。 リツコは再び大きな溜息を吐くと、顔の表情を引き締め口を開いた。 「本題に入ってもいいかしら。 シンジ君、あなたをここに呼んだ理由を話すわよ」 「は………はい」 「回りくどいのは嫌いだから、単刀直入に言うわ。 碇シンジ君、あなたにこのエヴァンゲリオン初号機のパイロットになって欲しいの」 沈黙がその場を支配した。 シンジは目の前の女性が一体なにを言っているのか全く理解できなかった。 パイロット? いったい何のことだ。 このロボットのようなものに自分が乗る? 意味がわからない。 「まぁ、いきなりこんなこと言っても理解できないのは無理ないわね。 マヤ、10日前の実験映像を出してくれる?」 「で、でも先輩………」 「いいから、早く」 「りょ、了解………」 マヤが手元のPCを操作するとシンジたちの目の前にホログラムスクリーンが出現し、映像が動き出した。 山吹色のカラーリングが施されたエヴァンゲリオン零号機が写り、その後に赤木リツコや伊吹マヤ、副指令の冬月コウゾウ、その他のネルフ職員数名の中に碇ゲンドウの姿も写っている。 映像は編集されているようで、エヴァのいる実験室と発令所が交互に切り替わるように進んでいく。 父の姿にひどく動揺したシンジだが、それよりもひとつの疑問が浮かび上がってきた。 「あ、あの………。 いま映ってるのって、目の前にあるこのロボットですか・・・?」 「いいえ、そこにあるのは試験初号機。 映像にあるのは試作零号機よ。 ・・・それに、ロボットではないわ。 正式名称、汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン。 いま映っている零号機にはあなたと同い年の子供が乗っているわ」 「ひ、人が乗ってるんですか!?」 「何を言ってるの? いまさっき、あなたにパイロットになって欲しいと言ったでしょ?」 映像は進み、発令所にいるスタッフが次々にオペレーションを開始し、実験が進んでいく。 そして、起動までのカウントダウンが終わろうかと言うところで、けたたましい警報音と共にオペレーター達の焦りの声が発令所を満たしていった。 発令所からの制御を失い、勝手に暴走を始めた零号機は、背中に固定されていた拘束器具を破壊し、頭を抱えてもがきはじめた。 「実験中止、電源を落とせ」 「はいっ!」 ゲンドウの指示によりアンビリカルケーブルが落とされても尚、零号機は暴走を続け、ついには発令所と実験室を隔てる強化ガラスに向け巨大な拳を叩きつけ始めた。 「父さん………」 飛び散るガラス片に臆することなく立ち尽くすゲンドウの姿に、シンジは思わず声を漏らした。 零号機の活動停止まで35秒という所に差し掛かったそのとき、安全装置の作動により射出されたエントリープラグが推進剤の勢いに任せ激しく壁に叩きつけられ、推進剤が切れると同時に実験室の床へと真っ逆さまに落ちていった。 そのシーンを最後に唐突に映像は途切れた。 「映像は以上よ。 見たとおり、ファーストチルドレンによる零号機起動実験は失敗。 それにより重症を負ったパイロットの代わり、及び初号機の専属パイロットとしてあなたを呼んだの。 チルドレンというのはエヴァンゲリオンのパイロットを指し、現在はファーストとセカンドの2人だけ。 ようするにあなたが3人目、サードというわけ」 「ちょ、ちょっと待って下さい! いきなり代わりなんて言われても………。 それに、これに乗って僕は何をするんですか!?」 「それは極秘よ。 まだ正式なネルフ職員になっていないあなたに、それを教える訳にはいかないわ。 初号機に乗るのか、乗らないのか、あなたはそれを決めればいいの」 未だ両手を白衣に突っ込んだまま毅然とした態度でリツコはシンジの目を見据える。 マヤはチラチラとシンジの顔を心配そうに見つめるが、この場を包む空気がどうにも我慢ならないのか、何も表示されていないモニターに気まずそうな視線を移した。 シンジはふと、田中の方を振り返った。 リニアレールで運搬された車の中で、田中が自分に言った言葉の意味をようやく理解できたからだ。 田中は感情の読み取れない冷たい表情でシンジの目を見据え、一定の距離からこちらへ近づいてはこない。 その態度が、目の前のリツコと一緒に自分を追い詰めているように感じ、シンジの目じりに涙が滲んできた。 「む、無理だよッ!あんな物に乗るんて・・・ッ。 僕はただ………父さんに来いって言われたから来ただけなのに!!」 「そうか、ならお前にもう用は無い」 突如、頭上から降ってきた声にシンジは顔を上げた。 ケージの上部に設置されたキャットウォークから見下ろす中年の男。 顎に髭を蓄え、色の濃いサングラスを掛けているため、はっきりとした表情は読み取れない。 だが、そこにいるのは紛れも無い、先ほど見せられた映像に写っていた父の姿だった。 「父さん……!」 「冬月」 シンジの呼びかけを無視し、ゲンドウは目の前に出現させたホログラムスクリーンに写っている冬月副司令官に呼びかけた。 「どうした?」 「予備は使い物にならん、レイをここへ呼べ」 「待て碇。 彼女はまだ動ける状態じゃないぞ。 それになぜ第1ケージに・・・?」 「初号機に乗せたまま実験場に移す。 パイロットがいないのならレイ一人で初号機と零号機を動かせた方が都合がいいからな」 「この前の事故もあるが・・・?」 「どの道、原因はわからん。 今は時間が惜しい」 「…わかった」 冬月との通信が切れると、ゲンドウは再びケージを見下ろし、リツコへと視線を移した。 「赤木博士。 初号機のシステムをレイに書き換えろ。 これより初号機を使っての起動実験を実施する。 零号機の凍結も現時刻を持って解除だ。 前回の失敗に関する報告書は後でかまわん」 「・・・了解しました」 ゲンドウの指示にうなずくと、リツコは胸ポケットから取り出した携帯電話でどこかへ電話をかけ始めた。 まるで、自分の存在など初めから無いように進行する周りの状況にシンジは悔しさを抑えるように拳を握り締めた。 自分は一体何をしにここへ来たのだろう? 言われるままにこんな遠い場所まで出向き、いきなりこんな意味のわからない物に乗れと言われ、挙句に父親からは役立たずと罵られたに等しい扱い。 やはり、自分はこの世に必要のない人間なのか? 堪えられない悲しさが涙となってさらにシンジの頬を伝っていった。 「シンジ君、行こうか」 背後から肩に置かれた田中の手の感触にシンジは後ろを見上げた。 後ろに立っている田中の表情は、どこか困り笑いのようで、こちらを労わってくれている気持ちが伝わってくる。 先ほど自分に見せた冷たい表情と、今の暖かい表情。 そのギャップに若干の戸惑いを覚えたが、今のシンジには、素直にこの優しさが嬉しかった。 もう一刻も早くここから去りたい、そして、二度と父には会いたくない。 「今日はホテルを取るから、そこでゆっくり休んで。 明日の列車で帰れるように手配もするから。 お金のことは気にしなくていいよ、全部こっちで出すから」 「………はい」 田中に促されるまま、シンジはエヴァ初号機に背を向け、出入り口へと歩を進めようとした。 ―――――そのとき。 「ファーストチルドレン、お連れしました」 これから自分が出て行こうとした出入り口が突然開き、一人の医師と数人の看護師に囲まれたストレッチャーがケージへと運び込まれてきた。 シンジは反射的にストレッチャーの上に乗っている人物に視線を向ける。 晴れ渡った空を思い出させる蒼い髪に、燃えるような赤い瞳、それらを際立たせるように真っ白な肌。 一度見たら二度と忘れることは無い容姿をしたその少女は、全身を包帯で覆われ、右目には眼帯が施され、至るところに血が滲んでいる。 そのあまりに痛々しい光景に、シンジは足を止め、通り過ぎたストレッチャーを目で追いかけ続けた。 あの少女が乗るのか? あんな体で? やがて、先ほどまでシンジ達が立っていた橋の真ん中まで来ると、ストレッチャーを取り囲んでいた医師と看護師は、まるでこれ以上関わるのは御免だと言わんばかりにそそくさとケージを後にしていった。 「レイ、もう一度だ。 いけるな?」 「はい………」 ゲンドウの呼びかけに小さく返事をした綾波レイは、痛む上半身をストレッチャーの上で少しずつ起していき、苦痛に叫びそうになるのを堪え、ゆっくりゆっくりと片足をストレッチャーから床へと下ろしていった。 「あッ」 だが、短い叫び声と共にバランスを崩したレイの体は、背中から床へと叩きつけられた。 「あ”ああああッ――ぐうッ」 途端に全身を突き抜ける激痛にレイは” く ”の字に体を曲げ、体を抱えるように床の上でもがいた。 その光景に、近くでPCを操作していたマヤは、両手で顔を覆うと逃げるように身体を背けた。 マヤだけではなく、上部デッキで作業をしていた作業員達も同様に苦渋の表情でレイの姿を見つめていた。 だが、総司令官であるゲンドウの存在のせいか、誰もがその場から動くことが出来ない。 しかし、そんな中で一人だけ小走りでレイに駆け寄る男がいた。 「レイちゃん!」 田中は苦痛に顔を歪めるレイの肩を慎重に抱き上げ、顔を覗き込む。 乱れる息を懸命に整えながら、レイも田中の目をじっと見据えた。 転倒の拍子に傷が開いてしまったのか、肩口や腕に巻いてある包帯からじわりじわりと多量の血が滲み、田中の手を赤く染めていく。 「………赤木博士、痛み止めなどの処置はできないのですか?」 「中枢神経系に作用する鎮静剤はエヴァとのシンクロに支障をきたすわ。 正確なデータを取るためにも、薬物の使用は極力避けたいの」 リツコの返答を聞き、田中の眉根の皺が増す。 例え、エントリープラグに搭乗することが出来ても、こんな状態でまともに実験が行えるなど到底思えない。 それに、前回のような事故が再発した場合、間違いなくレイは死亡するだろう。 田中はもう一度、自分の腕に抱かれている少女に視線をおろす。 未だに荒い息をしながら、真紅の瞳が再びまっすぐと田中の目を見据える。 ――――――そして、集中しなければ見逃してしまうほど小さく、田中に笑いかけてきた。 「…大丈夫です、田中二尉…」 「……そっか、じゃ、手伝うよ」 レイの小さな微笑に、田中は先ほどシンジに向けたものと同じ困り笑いを浮かべると、レイの背中にそっと手を回してゆっくりと起き上がらせる。 レイは田中のスーツにギュッとしがみ付き、一歩一歩、エントリープラグの横たわる上部デッキに上がるためのエスカレーターのステップに近づいていく。 シンジはその姿を見つめながら、ずっと自問自答し続けていた。 このまま、あのエヴァというものに乗ったら、あの少女はどうなってしまうのか。 周りの様子を見る限り、乗っても平気などという状態ではないのは明確だ。 もしかしたら、死んでしまうのかも知れない。 そして、それは自分のせいになるのか? 自分が搭乗を拒否したから? 自分のせいで、人が死んでしまうなんて、そんなのは嫌だ。 でも、あんな得体の知れないものに乗るのも嫌だ。 ――――――そうやって、また自分は嫌なことから目を背けるのか? 家に帰って、何も変わらない憂鬱な日常に戻るのか? きっと、ここで帰ったら、すべてを後悔するのかも知れない。 きっと、ここで見たものをすべて忘れるなんて無理に決まってる。 逃げて、目を背けて、後悔するのはもう嫌だ。 だったら―――――― 「待ってください!!」 広いケージの中に、シンジの大声が響いた。 リツコやマヤ、田中やその他の作業員、全員の視線が一斉に少年へと集まる。 シンジは興奮と緊張で激しく打ち続ける鼓動を必死に押さえ、腹から声を絞り出した。 「乗ります………!! 僕がその……エヴァンゲリオンに乗ります!! だから……その人を乗せないでください!!」 再び響いたシンジの叫びに、その場が静まり返る。 シンジの荒い呼吸を整える息遣いだけが響くその時間を動かしたのはゲンドウだった。 「赤木博士」 「はい」 「実験は中止。 エヴァ零号機を再び凍結しろ。 現時刻を持って碇シンジをエヴァンゲリオン初号機の正式パイロットに任命する。 同パイロットによる起動実験の準備を整えろ」 「了解しました」 用件だけを述べると、ゲンドウはキャットウォークを引き返し、奥へと消えていった。 誰にも気づかれていない、不適な笑みを浮かべて。 |
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