Dice - 3
赤木リツコは自身の執務室でパソコンと向かい合っていた。

仕事の内容は今から10日ほど前に発生した第2実験場におけるエヴァンゲリオン零号機の起動実験の失敗についての諸々だった。

目の前の液晶ディスプレイには実験時に採取していたデータがいくつも表示され、高速でプログラム処理が行われている。

可能性や仮説など無限に出てくるが、はっきりとした原因は”不明”。

結局のところ、現在の作業は報告書に記載するもっともらしい事柄を探しているに過ぎない。

どちらにせよ、今回失敗してしまった実験は再開せねばならず、同じ失敗を未然に防ぐ努力は出来る限りするが、成功するかしないかはその時になって見なければ”解らない”という事が結論だった。


リツコは猫の刺繍がされたシガーケースから煙草を取り出すと、火をつけ思い切り煙を吸い込んだ。

長時間の作業で疲れきった頭にメンソールの刺激とニコチンが行き渡り、一時的だがイライラとした気分を和らげてくれる。


吸いかけの煙草を灰皿に置くと、パソコンを操作し、碇シンジの経歴書を表示させる。

添付されている写真には細身の気弱そうな少年が無表情で写っていた。

見れば見るほど父親とは似ても似つかない容姿だが、母親と比べると顔の作りや雰囲気がよく似ている。

果たして、彼がこれからする話を聞き入れ、協力してくれるだろうか。

事前に調べた経歴や性格を知る限り、内向的で自虐的、交友関係もほぼ皆無に等しいという。

どう考えても、争い事を好む性格ではないだろう。


灰皿に置いてあった煙草を再び口に運び煙を吸う。

考えても仕方ない。

ファーストチルドレン”綾波レイ”が先の実験の失敗により重傷を負った今、このネルフには戦力が無いに等しい。

ドイツにいるセカンドチルドレンもエヴァンゲリオン弐号機の最終調整が立て込んでいる以上こちらに来ることは不可能。

ならば、いつ襲ってくるか分からない脅威に備えるには彼を頼らざるを得ないのだ。


机に散らばった書類をひとつにまとめると、もう一度、ファイルに添付されているシンジの写真を見た。



(母親に似ている………か)



彼が乗るであろうエヴァンゲリオン初号機。

その中に眠っている人物を思い浮かべ、一瞬自分の中に怒りを含んだ靄が生まれると同時に、ひとつの確信も生まれた。



「彼の実験は成功するわね。 確実に……」



パソコンの電源を落とすと、先ほどまとめた書類の束を小脇に抱えリツコは執務室を後にした。










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「シンジ君、IDカード貸してくれる? 」


「はい」



シンジを乗せた車はトンネルの奥に設置されているリニアレールの入り口の前で止まっていた。

大型トラックでも余裕で入るであろう、その巨大なゲートの横に設置されている端末を田中がなにやら操作している。

作業の最後に自分のIDカード、その次にシンジのIDカードをリーダーに通すと、アナウンスの声と共にモーターが動き出し、巨大なゲートが開いた。

車に戻った田中が車をトレインに乗せるとゲートは自動的に閉まり、同時に地下へと向けて動き出した。



「シンジ君は、お父さんの仕事がどんなものか知ってるかい?」


「………人類を守る、大切な仕事だと先生からは聞いています。
 でもネルフって、世間ではあまり良く思われてないですよね?」


「まぁ、そうだね」



田中はシンジの素直な質問に思わず苦笑してしまった。

一般に知れ渡っているネルフの体制は国内の反政府勢力や国外のテロリストからこの国を防衛するために設立された特務軍事機関とされ、この第3新東京市はそのための要塞都市とされている。

だが、不自然なほど絶大な権限と莫大な資金を有し、その実態が不透明であることから世間一般からの印象は当然良いものではなかった。



「とりあえず、詳しい話を聞く前にちょっと予備知識でも入れていこうか。
 はい、これ」



田中はダッシュボードからA4サイズほどの冊子を一冊取り出すとシンジに手渡した。



「ようこそ・・・Nerv江・・・?」



表紙にでかでかと捺印されている”極秘”の2文字と不釣合いな書体で書かれている表題にシンジは思わず眉根を寄せた。

ちなみにこの見た目に深い意味は無く、単なる広報部の”趣味”である。

シンジは表紙をめくり中身を流し読みしていく。

中にはネルフ内部の大まかな構造図や施設の内容などが細かく書かれており、これと言って読んでいて面白いと思う内容ではなかった。



「シンジ君、そろそろだよ」


「え?」



本から目を離し顔を上げると、シンジたちを乗せたカートレインは薄暗かった地下通路から、辺り一面が地上から降り注ぐ日の光に満たされた地下空間へと抜け出た。

その巨大な地下空間の天井にはビル郡が突き出ており、空間の周囲をリニアレールがらせん状に張り巡らされいる。

全体の3分の1は地底湖で占められ、ピラミッド上のネルフ本部はちょうど真ん中に位置していた。



「す、すごい・・・ここがジオフロントですか!?」



目を輝かせ、車のサイドガラスに鼻先をくっつけるように周囲を見渡しているシンジを見つめ、田中は複雑な心境だった。

おそらく、そう遠くないうちに、この特務機関ネルフの存在がこの世界で最も重要なものになる出来事が起こるのだろう。

そして、今、目の前にいる子供はその最前線に立たされることになる。

そう考えたとき、田中は自分の言葉を抑えることができなかった。



「………シンジ君」


「はい?」


「多分…、君はこれから自分の人生にとって、とても重要な決断をしなきゃならなくなると思うんだ」


「・・・重要な決断?」



最初に会った時からずっと穏やかだった田中が、急に真剣な目で自分を見据えている事にシンジはうろたえた。

あの父の事だ、用も無いのに自分をこんな場所に呼ぶ訳が無い。

だとしたら、いま田中が自分に言ったことはその理由と関係のあることなのだろうか?



「まだ会ったばかりの俺が、こんな事を言うのはちょっとおかしいかも知れないけど。
 どんな事を言われても、どんな物を見せられても、自分に正直に。
 悔いのない決断をして欲しいと俺は思うんだ」



言い終わると、硬かった田中の雰囲気が穏やかなものに戻り、それ以上なにも言葉を発しなかったため、あえてシンジは返答せずに未だリニアレールの上を降りていく車の外を眺めた。

田中の言葉の意味はよく理解できなかったが、少なくとも自分のことを案じて言ってくれているような気がして、決して悪い気持ちにはならなかった。










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須川トモミはすこぶる機嫌が良かった。

なぜなら、休憩中に食べた手作りケーキとコーヒー、ついでの特性焼きプリンのおかげである。

女の機嫌が悪いときはとりあえず何かを食わせれば良いと言うのは正しいことなのだ。

それが甘いお菓子なら尚のこと良いだろう。
                       
なぜなら、あまりに機嫌が良すぎて田中たちがとうにネルフ本部へ入った事に気づかず、部下から指摘されたことでようやくリツコからの伝言を思い出したほどだ。



「しまったー・・・、いまどの辺にいる?」


「はい、えー・・・地上Aブロックの第5駐車場ですねー」



須川の横に立っている女性職員は手元の携帯端末を操作すると、ディスプレイを須川に見せた。

女性職員の言った場所は諜報部職員専用の駐車スペースだ。

田中がサードチルドレンを乗せた車を駐車するためにこの場所にいるのなら大して時間は経っていないだろう。

女性職員に礼を言って下がらせると、須川は受話器を手に取り田中の携帯へとコールした。










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田中とシンジは須川からの連絡を受け地下へと降りるためのエレベーターに乗っていた。

当初の予定では上階にある赤木リツコの執務室に向かう予定だったが、ここに来ての指定場所変更に田中は疑問を抱いていた。

第1ケージにはエヴァンゲリオン初号機が保管されていたはずだ。

何の予備知識もなしに、子供をあんな物に突き合わす赤木リツコの思考に若干の憤りを禁じえなかった。



「あの、田中さん」


「ん?なんだい?」


「上にいた時と違って、あんまり人と会わないですね」


「ああ、大抵の職員は上の建物で仕事をしてるからね。
 ここは研究室や実験場がほとんどでみんなそこに篭ってるから。
 俺も滅多にここへは来ないよ」



実際に地下に降りるまでに何人もの職員とシンジ達は顔を合わせている。

シンジとすれ違う人間が一様に自分の顔を凝視し、中には哀れみの表情で見つめる者までおり、ずっと居心地の悪さを感じていた。

しばらく迷路のように入り組んだ通路を進んだところで田中が立ち止まった。



「シンジ君、着いたよ」



通路を突き当たった先には”EVA01 FIRST CAGE”と書かれた巨大で頑丈そうなゲートがそびえていた。

田中はゲートの横に取り付けられている内線に自らのIDカードを通すと受話器を取り上げる。



「保安諜報部の田中です。
 サードチルドレンをお連れしました」


「開けるわ、入って」



スピーカーから赤木リツコの声が響くと同時に、巨大なゲートが襖でも開けたかのようにすんなりと開いた。
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