Dice - 2 |
第3新東京市と外界とを結ぶ施設である新箱根湯本駅に6両編成の政府専用列車が到着した。 開けられたドアから人気の全く無いホームに下りたのは、ボストンバックを抱え、服装は黒のスラックスに白のYシャツを着た少年だった。 少年はホームから周囲を見渡し、自分よりも離れた車両から降りてくる黒のスーツに黒のサングラスという見るからに訳ありそうな2人組みの男達に視線を向けた。 自分がここに来るまでずっと監視するように付けてきた男たちだ。 監視が自分についているというのは受け取った手紙にも書いてあったことであり承知はしていたが、やはりずっと後を付回されるのは落ち着かなかった。 改札口を出ると、照りつける太陽に一瞬目が眩む。 周囲は山に囲まれ清清しい空気が肺を満たす、電車の中から見えた湖はおそらく芦ノ湖だろう。 少年は駅の方を振り返る。 相変わらず、黒服の男たちは駅の入り口付近で少年を監視しており、時折、顔を突き合わせてなにやら話し合っている。 少年は軽く溜息を吐くと、肩に掛けていたボストンバックを地面に下ろし、中からA4サイズの封筒を取り出し中身を再確認した。 くしゃくしゃに皺の付いた1枚の紙切れ。 不要になった書類の裏にサインペンか何かで書いたのか、”来い 碇ゲンドウ”とだけかかれている。 あの父親らしいと言えばそれまでだが、何年も自分をほったらかしにして電話のひとつも寄こさなかったくせにこれはないだろう。 一体、いまさら自分になんの用なのか、全く理解できなかった。 その手紙とは対照的に、綺麗に三つ折にされた手紙が同封されていた。 丁寧な直筆で、今回の特務機関ネルフへの出頭のこと、現地に着くまで監視が付くこと、そして現地に着いた場合に迎えに来るのが、この手紙の筆者であろう田中ヨシノブという人物である事が事細かに書かれている。 少年は手紙にクリップされている写真をみた。 直毛の短髪で、目つきは若干鋭い印象を受けるが、うっすらと微笑んでいる顔はどことなく親しみを感じさせる。 中性的な顔とは対照的に、写真に移っている上半身はスーツの上からでも分かるほどがっしりとしていた。 他は第3新東京市までの地図や仮IDカードが同封されている。 見返した書類をボストンバックに戻すと、ほとんど車の無い広い駐車場を見渡した。 すると、こちらへ向かってくる黒い車が目に止まった。 電気自動車の静かなエンジン音がはっきりと聞こえるのは、辺りが静か過ぎるからだろうか。 車はどんどん近づき、やがて少年の目の前で止まった。 そのとき、後ろに気配を感じ振り返ると、先ほどまで駅の入口でずっとこちらを見ていた黒服の2人組みが自分の後ろに立っており、反射的に体が仰け反った。 これほど近くにいてもサングラスのせいか、表情を読み取ることができない。 この状態で ” I'll be back... ” などと言われれば未来からきた某殺人機械のそれである。 「碇シンジ君だね?」 声のした方に振り返ると、車から降りてきたのだろう、あの手紙に同封されていた写真と同一の男が目に入った。 あからさまに動揺しているのが一目瞭然だったのか、苦笑気味にこちらを見ている。 「お前らねー、子供の前でぐらいサングラスは外せよ。 警護対象を威嚇してどうすんの?」 「はぁ・・・しかし、規則ですし・・・」 やれやれ、といった感じで田中はこめかみの辺りを人差し指の先で掻いた。 少年は状況が上手く理解できないのか、田中の顔と黒服の二人組みを交互に見ている。 その様子に気づいた田中はひとつ咳払いをして、改めて少年に向き合った。 「始めまして、碇シンジ君。 私は特務機関ネルフ、保安諜報部二課の田中ヨシノブという者です。 君が第3新東京市に滞在している間の身辺警護を担当します。 何はともあれ、京都からここまでの長旅お疲れさま」 「あ、はい」 写真と同じ穏やかな顔で右手を差し出され、若干の緊張はあったもののシンジはそれに答えた。 そんな二人の後ろで、なぜだかばつが悪そうに佇む二人の黒服男にも田中は同じ表情で向き直ると、二人の肩を労うようにぽんぽんと二回叩いた。 「二人もご苦労様! 今日と明日は仕事を入れてないからゆっくり休んで」 「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」 田中の言葉に2人は互いの拳を付き合せて喜びを分ち合った。 全く知らない土地で少人数での数日に渡る付きっ切りの監視業務はやはり堪えたのだ。 早く家に帰り、風呂に入って酒を飲んでゆっくり寝てしまいたかった。 「あ、でも携帯の電源は入れておいてね。 人手が足りなくなったら呼ぶから」 「「…………」」 車に乗って走り去る2人を見送ると、シンジと田中も車に乗り込んだ。 駅を離れた車は山道を道なりに進み、どんどん山の中へと入っていく。 田中は胸ポケットから携帯を取り出すと、本部で仕事をしているであろう須川へ電話をかけた。 『・・・はい、須川です』 電話に出た声は若干の棘があり、彼女の機嫌が未だに斜めなのがありありと伺える。 「もしもし? 田中だけど。 いま監視班からサードチルドレンを引き継ぎ保護したから。 そっちに着いたら直接おくり届けるから直通のカートレインを用意しておいて あと、技術部の赤木博士にも連絡よろしく」 『はいはい、かしこまりました!』 投げやりな返事の直後に電話はプチリと音を起てて切れた。 上司への態度とはしてはどうかと思うが、田中自身は特に気にした風でもなく、携帯をポケットに戻した。 「あの、田中さん・・・ ” サードチルドレン ”って僕のことですか?」 電話の内容を横で聞いていたシンジがおずおずと質問を投げかけた。 いま保護したと言われれば、その対象は当然自分であろう事はすぐに想像がつく。 田中はちらりとシンジに視線を向けると、車の運転に注意を向けながら口を開いた。 「うん、一応ね。 詳しい話は向こうについてから話してもらえるから」 「そうですか………」 シンジはそれ以上問いただすことなく、外の風景に視線を向けた。 現在、シンジは京都の大学で教授をしている、父、碇ゲンドウの知人の家で生活しており、最後に第3新東京市を訪れたのは3年前、母、碇ユイの命日のときだった。 母の墓前でしばらく2人でいたはずなのに、結局、父とは何も話すことは無かった。 その父がわざわざこの街に呼んだ理由は何なのか、大きな不安と、若干の期待がシンジの中ではずっと渦巻いているのだ。 「手紙、最初見たときは驚いただろ? あんなくしゃくしゃの紙にたった一言だけで」 「え………? あ、はい。 でも、父らしいかなって」 山道から眼下に見える第3新東京市の街並みに見入っていた所に再び掛かった田中の声に若干返事が遅れたが、シンジは苦笑気味に答えた。 「いやさぁー。 俺も最初にアレを渡されて送っとけって言われた時は驚いたよ。 書類の切れっ端に”来い”だけだもん。 いくらなんでも、これじゃ分かんないよって事で、俺の手紙を一緒に入れておいたんだ」 「そうなんですか。 変わってるでしょ、父って」 「変わってる変わってる! シンジ君を見てると本当に親子なのか疑っちゃうよ。 あ、今のは内緒にしておいてね?」 「アハハ、大丈夫ですよ」 おどけるような田中の話し口調に若干残っていた緊張が取り払われ、シンジに思わず笑みが浮かんだ。 この会話を皮切りに段々と打ち解けあってきた田中とシンジは車の中で他愛も無い雑談を始めたのだった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 田中からの連絡がきてからしばらくの間、須川は事務仕事を片付けていた。 車両運搬用のカートレインの手配はすでに済んでいる。 あとは向こうが呼び出せばいつでも地上へ向けて発進させることが出来るだろう。 次は技術開発部の赤木リツコ博士への事前連絡をしなければならないが、田中達がこちらへ着くにはまだ時間があるため後回しにしていた。 だが、そろそろ小休憩を入れようと思っていたところで、その前に片付けてしまおうと受話器を手に取り内線をかけた。 数秒ほどで幼さが残る元気な声が受話器の向こうから聞こえてきた。 【はい、技術開発部技術局一課の伊吹です】 「お忙しいところ恐れ入ります。 こちら保安諜報部二課の須川ですが、赤木リツコ博士にお取次ぎ願えますでしょうか?」 【はい、お待ちください】 伊吹マヤ。 彼女とは仕事で外部へ出向く際の護衛を担当した事があり、何度か面識が会った。 童顔でスタイルの良い、なかなかの美人だったような気がする。 現在、階級は二尉で技術開発部技術局第一課で赤木リツコの部下として優秀な仕事ぶりで、一部の男性職員から絶大な人気があるらしい。 もっとも、かなりの潔癖症だったり、” もしかして同性愛者じゃね? ”という噂のせいか、手を出そうとする猛者もいないらしいが。 手元のノートPCを眺めながらボンヤリとそんな事を考えている間に、保留の音楽が止まり若干ハスキーな女性の声が聞こえてきた。 【はい、赤木です】 「お忙しいところ恐れ入ります。 保安諜報部二課の須川ですが、警護中のサードチルドレンについてご報告するためお電話致しました」 【ああ、彼。 もうこっちに来てるの?】 「はい、新箱根湯駅にて監視班から田中二尉が警護を引き継ぎ、最優先で移送しています。 確認ですが、サードチルドレンの身柄は赤木博士の執務室に送り届けるという事でよろしいのでしょうか?」 【そうね、ちょっと待って………。 ………悪いけど、第1ケージまで連れてきてくれる?】 「地下第12ブロック第1ケージですね。 了解しました、田中にも伝えておきます」 【お願いね、それじゃ】 相手の通話が切れる音を確認してからゆっくりと受話器を置いた。 いちいち監視していなくても彼らが本部に入ったことはすぐに分かる。 言付かったことを伝えるのはそれからでも構わないだろう。 とりあえず、今の彼女は……。 「上の食堂においしい手作りケーキがあるんだよね〜♪」 休憩を入れることで頭がいっぱいだった。 社会人にとって仕事の切り替えはとても大切なことなのだ。 軽い足取りでオフィスを出て行く上司の後姿を見ている職員は皆一様にあきれていた。 |
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